ホスピタリティ。

(2009/03/26 07:29)
ドゥマゲッティの次に訪れたのは、ネグロス島北西岸に位置するバコロド(西ネグロス州の州都)。
ドゥマゲッティからバスで4時間半ぐらいの行程ですが、島中央部を横断する山越えルートを選んだので、景色は良かったです。
さて、このバコロドですが、ひとつ問題が…。

(2009/03/26 07:29)
ドゥマゲッティの次に訪れたのは、ネグロス島北西岸に位置するバコロド(西ネグロス州の州都)。
ドゥマゲッティからバスで4時間半ぐらいの行程ですが、島中央部を横断する山越えルートを選んだので、景色は良かったです。
さて、このバコロドですが、ひとつ問題が…。

(2009/03/25 08:22)
昨日、「ドゥマゲッティ(ネグロス島)」の中で、「夕方には海岸通にたくさん屋台が出て…」という話を書きましたが、それらの屋台で売っていたのが写真のものです。

(2009/03/24 08:51)
ボホール島での滞在もいよいよ終わり。
島の西岸に位置するタグビラランでは、朝陽は無理ですが夕陽は存分に楽しめました。

(2009/03/23 08:00)
今度は、ロボック川クルーズです。
ガイド・ブックのコラムに、「船着場にはレンタルボート店が数軒並んでいる。ここで料金交渉をしてボートをチャーター…」とあるのですが、現場に行くと様子が違います。
チケット売り場があって、そこでチケット(600円)を買うと、「3番乗り場に行って…」と言われます。

(2009/03/22 08:44)
ボホール島ではけっこう観光もしました。
チョコレート・ヒルに続いて行ったのはセヴィリャの竹の吊り橋。
ここは、チョコレート・ヒルからタグビラランに行く途中にあるのですが、交通の便が悪いようです。
チョコレート・ヒルからはツアーも出ているのですが、ツアー嫌いの僕は個人で行くことに拘ります。

(2009/03/19 09:19)
いよいよボホール島へ向かいます。
バト(レイテ島)からウバイ(ボホール島)への船は一日一便と聞いてましたが、実際には2便ありました。
そのひとつ、アウトリガー付きの漁船みたいな船は、8時15分発で14時着。
およそ6時間の船旅です。
料金は聞いていません。
というのも、この船を発見する前に、既に別の船のチケットを買っていたからです。

(2009/03/17 08:19)
レイテ島の次に目指したのは、ボホール島。
一旦セブ島に渡って、そこからボホール島に行くのが一般的ですが、ガイド・ブックの欄外に小さな情報が載っていたのです。
「レイテ島のバトからボホール島のウバイに船が出ている」と。

(2009/03/16 08:56)
雨に迎えられたサマール島ですが、舟の着いたアレンからジープニーでカルバヨグに向かいます。
ルソン島からサマール島に移っての大きな変化は、道の悪さ。
途上国においては、首都の周辺と主要な幹線道路のみ良く整備されているというパターンは多いのですが、ここもその傾向が見えます。
雨が降ったり止んだりというお天気の下、2時間強でカルバヨグに到着。

(2009/03/15 07:04)
日本からの飛行機が着いたマニラを避けて夜行バスに飛び乗ったものの、レガスピでは快晴の清々しいお天気に誘われて、予定を変えて旅を進めることにしたのです。

(2009/03/05 12:00)
(1990年の思い出です)
島での過ごし方は、基本的には「ボーっとして」過ごします。
ただ、毎日規則的にやってたことがひとつだけあります。
毎日5時ごろになると一旦コテージに戻ってシャワーを浴びます。
それからビーチに出て、後は夕陽を眺めるのです…。

(2009/03/03 12:00)
(今は知りませんが)1990年ののボラカイ島には車は一台もありませんでした。
陸上の移動は牛に乗って。
のんびりしているのです。
(2009/03/02 18:15)
gobusata simasita.
zenkai,CEBU kara kaita ato,sibaraku ritou(hanare-kojima) de beach-resort wo siteite, PC no kankyou ga arimasendesita.

(2009/03/01 12:00)
1990年にボラカイ島で泊まってたコテージですが、これがエエんですよ!
柱は木材ですが、壁も床も竹です。
屋根は椰子の葉。
ベッドには赤い蚊帳が吊ってあります。

(2009/02/27 12:00)
再びボラカイ島です(1990年)。
南国の樹といえば椰子を思い浮かべますが、ボラカイ島にもいい感じの椰子がたくさんありました。
写真に撮っても、風が写るのがいい感じ…。
上の写真でビーチに寝転がってる人たち、白人です。
白人でもここまで焼けるんですよねぇ~。
今頃はこんな椰子たちに囲まれて旅をしていることでしょう…。

(2009/02/25 12:00)
今でこそ有名になって日本からツアーが出るほどポピュラーなリゾート地になったボラカイ島ですが、20年前は無名の島でした。
ただ、当時から貧乏旅行者の中では有名な島で、旅に疲れたときに癒しを求めていく聖地みたいなところだったんです。
(2009/02/23 21:52)
hikituduki CEBU ni imasu.
kyou wa MACTAN Is. ni itte kimasita.
sekenn de CEBU to itteru beach-resort wa jitu wa kono MACTAN Is.nanodesu.

(2009/02/23 12:00)
世界8不思議って聞いたことありますか?
普通は7不思議ですが…。
それがここ、ルソン島北部のコルディリェーラの棚田群です。
(2009/02/22 21:34)
gomeiwaku wo okakesiteimasu.
zenkai made no PC wa nihongo ga detekonakattanode kanri-pe-ji ni hairemasen desita.
demo, kokonowa nihon-go wo kakenai kedo yomu koto wa dekirunodesu.

(2009/02/18 12:00)
マニラの南東100キロぐらいのところにあるパグサンハン。
行ったのは20年近く前のことです。
ここは舟遊びをするところです。
僕、舟好きですから…。
一人で舟をチャーターするなんて、物価の安いところでしかできません…。
(2009/02/16 18:08)
Konnitiwa!COOZY desu.
umarete hajimete Internet-cafe ni kimasita.
nihon wo dete 6niti tatte hajimete mituketanodesu.
nihongo henkan ga dekinainode Roma-ji desu.
minasan yomizuraideshouga kotiramo kakinikuinodesu.

(2009/02/15 12:00)
こちらは、1991年に行ったミンドロ島のブエルト・ガレラです。
特別海が綺麗だとかいうわけではないのですが、のんびりできていいところでした。
平和な空気が流れていました。
今回もそういうところを探してるんですが、見付かったでしょうかね?

(2009/02/13 12:00)
現在フィリピンを旅行中(の予定)です。
できるだけ現地からも日記を書くつもりなんですが、何があるか判りません(笑)。
それで、フィリピンをまったくイメージできない方のために、これまでのフィリピンで撮った写真を見てもらって、ちょっと想像していただきたいと思うのです。

ヴェトナムの旅もいよいよ終盤。
有名なリゾート地ニャチャンでリゾ-トできなかった僕が、続いて向かったのはダラット。
林芙美子の小説「浮雲」の舞台にもなった、標高1400~1500mに位置する高原の町です。
高原の町と言えばサパ(1月13日の日記参照)を思い出しますが、まさにそのサパの青空の再現を期待して、このダラットを目指したのでした。

ヴェトナムの旅も後半。
ようやく残りの日程が見えてきて、少し焦り始めます。
ハノイからは、南北に長いヴェトナムの背骨ともいえる国道1号線を南下して、サイゴンを目指します。
まず向かったのは、ヴェトナムの代表的なリゾート地であるニャチャン。
しかし、ハノイからこのニャチャンまでは、実に1300キロ以上の距離があるのです。

少数山岳民族が集う町サパを離れた後、再び鉄道に乗って首都のハノイに向かいました。
ハノイは、フエからハイフォンに行く途中とバイチャイからラオカイに行く途中に寄りましたが、滞在するのはこのときが初めてです。
ラオカイからの夜行列車がハノイ駅に着いたのは、早朝の6時過ぎです。
駅前でカフェ・スア・ダー(アイス・ミルク・コーヒー)を飲んでから、さっそく宿探しに移ります。

前回のサパのお話の続きです。
サパの町を歩いているだけでも、それなりに山岳民族の文化に触れることはできるのですが、せっかくのチャンスですから、より深くその文化に触れてみたいというのは人情です。
そこで近郊の村村を訪ねることにしました。

中国(雲南省)との国境の町ラオカイの次に訪れたのはサパ。
ラオカイの西方40キロに位置するサパは標高1500mを越える山間にあり、町の西方約9キロの所にはヴェトナムの最高峰ファン・シ・パン(3143m)が控えています。
そんな場所ですから、フランス統治時代は避暑地として有名なところでした。

世界遺産のハロン湾を見た後、首都のハノイまでバスで行き、そこからは鉄道の旅です。
ヴェトナムでも多くの途上国と同じく鉄道よりもバスのほうが安くて早いので、ここまではバスばかりを使っていました。
しかし、鉄道が走っているところでは一度は乗りたいし、スケジュールが厳しくなってきたので、夜行列車を使うことにしたのです。

ヴェトナム北部で首都ハノイに次ぐ大都市であるハイフォンからローカル・バスに乗って2時間弱、ハロン湾観光の基点となる町バイチャイのバス・ターミナルに到着。
しかし、ガイド・ブックの地図とは様子が違います。
後にわかったことですが、町の真ん中にあったターミナルが町外れに移動したのでした。
町まではバイク・タクシーがあるのですが、これがまたトゥーリスティック。

フエの後に目指したのは、北部ヴェトナムで最も有名な観光地であるハロン湾です。
ハロン湾には首都ハノイからのツアーで行くのがポピュラーですが、僕はちょっと違ったルートを考えました。
ハノイから、北部ではハノイに次ぐ大都市であるハイフォンから出ているローカル船で行こうというのです。

ホイアンの次に向かったのはフエ。
ヴェトナム最後の王朝であるグエン朝(1802~1945年)の都が置かれた街です。
フエには王宮(写真)をはじめ、寺院や皇帝廟など風格のある建築物が点在し、これら古の建造物群は1993年にヴェトナム初の世界遺産に登録されています。

仏教徒が多いヴェトナムでも、日本と同じように年中行事としてクリスマスを楽しんでいるようです。

日本からの飛行機による移動を終えた後、サイゴンで一泊だけして、翌朝には北上を始めました。
まず目指したのは、サイゴンから北に1000キロ離れたホイアンです。
ホイアンは、チャンパ王国の時代には中国とインド、アラブを結ぶ中継貿易都市として栄え、その後16~17世紀にかけてグエン朝の交易の中心地として繁栄しました。
当時、タイのアユタヤ、フィリピンのマニラと並んで日本人町も作られ、最盛期には1000人以上の日本人が住んでいたといわれます。

17年ぶりのヴェトナム。
その時の流れには驚かされたり、残酷ささえ感じたり。
その逆に、17年経っても変わらないものがあったり…。
今回はその17年の時の流れを再確認する旅でもありました。

お待たせしました!
ようやく写真の準備が整いましたので、ボチボチとヴェトナム話を。
と言いながら、今日はヴェトナムに着くまでのドタバタ話です…。

まだ写真が用意できていませんので、今回のヴェトナムのお話はもう少し待ってください。
その前に、17年前に行ったときのベトナム話を少し。
その時には僕としては珍しく、テーマのようなものがありました。
それは、「ヴェトナム戦争を考える」でした。

4週間ほど「インフルエンザ予防合宿」に出かけておりましたが、無事に戻ってきました。
行き先は報告しておりませんでしたが、ヴェトナムに行ってました。
実はヴェトナムは2回目でしたが、1回目が1990年のことで実に17年ぶり。
17年の時の流れは残酷なまでに大きなもので、まったく違った国に脚を運んだような気分にもなれば、少しも変わらぬものもあったりで、日頃の旅とは一味違ったものとなったのです。

今年は(も?)インフルエンザの流行が心配されているそうです。
それも、数ある型の中でも最悪の場合死に至るケースも多い「ソ連A型」とか。
子供さんやお年寄りのいる家庭では特に心配でしょう。
でも、気をつけるべきは子供やお年寄りだけではありません。
舐めてかかると、健康な成人でも大変なことになってしまいます。

毎年11~12月に掛けて旅行するのが恒例になっていて、今年も来月半ばからの旅を予定しています。
でも、行き先が決まらないのです…。
これまで80カ国ぐらいを旅してきましたが、行きにくいところばかり残ってきて、この数年は困ってます。
「行きにくい国」というのは、物価が高いところであったり、治安が良くなかったり、主にそういう理由からです。

7月に帰国以来、ポツリポツリとご報告してきたヌサ・トゥンガラ諸島の旅日記もいよいよ最後。
最終訪問地はロンボク島北西沖に浮かぶ小島で、ひたすらリラックスに努めたのでした。
その小島というのがギリ・アイランド。
インドネシア語でギリというと小島を指すのですが、普通はこのバンサル港沖に浮かぶバック・パッカー御用達の3つの島を指します。

この数日、心が痛いのです。
原因はミャンマーです。
ニュースの時間はチャンネルを次々変えて、ミャンマーのニュースを探しています。
そして、在日ミャンマー人の方達のインタビューで「助けてください」と言われるたびに、心を鷲掴みにされたようで目が潤むのです。
何かしたいのに、どうすれば良いかわからない自分がもどかしいのです。

フローレス島を訪ねた後、再びフェリーに乗ってスンバワ島サペへ。
ほとんどの旅行者はこのままバスとフェリーを乗り継いで、スンバワ島を通過してロンボク島へ向かいます。
それと言うのも、スンバワ島にはこれといった観光名所が無いからです。
強いて言えば、ここには良い波が立つのでサーファーはその限りではありませんが…。

マウメレは人口7万人を越えるフローレス島最大の町です。
かつてはフローレス島随一のダイビング・スポットとして注目を集めていたのですが、1992年に死者数千人の被害を出した大地震による津波を受け、町は全壊したのです。
しかし、今やその傷跡はほとんど見られません。

霧に包まれたクリムトゥ山から帰った後、モニ村からさらに東のマウメレを目指しました。
宿のオーナーのミナさんが「昼ごろにバスが来る」と言うので、僕は11時ごろから待っていたのです。
ところが、それから30分ほどした頃にミナさんがやってきて、こんなことを言いました。
「ゴメンゴメン、言うのを忘れてたけど、この二日間降り続いた雨で道路は土砂崩れがひどいみたい。マウメレ方面もエンデ方面もダメみたい。土砂崩れのところまで行けても、そこまで。その後、向こうでまた別のバスかベモを探さなければならないよ。明日になったら町から大きな車が来て片付けてくれるから、マウメレに行くなら明日にしたほうが良いよ」と。

バジャワの次に訪れたのは、モニという小さな村。
フローレス島では唯一といっていい観光地であるクリ・ムトゥ山への基地になる村です。
バスを降りたのは、モニで最も値段の高いホテルの前。
一応部屋を見ましたが、8万ルピア(720円)は贅沢です。
僕は、ガイド・ブックに一泊1万5千ルピア(210円)と記されている「アミナ・モエ」という安宿に泊まるつもりだったのですが、「2年前につぶれた」と教えられ、別のゲスト・ハウスに泊まることになりました。

写真の男性は、バジャワの安宿「ヌサンタラ」で同宿したスペイン人ツーリストのミゲル。
初めて会った夜、3時間も話し込んだのは自分でも驚きです。
英語が苦手な僕にとっては、2人っきりで(3人以上だと逃げ道があるのです…)3時間も喋るのは、本来は苦痛なのです。
でも、それが苦にならなかったのは、似たもの同士というか、旅行者同士で意気投合したからです。

バジャワ近郊には伝統を守り続ける村が幾つかあり、それらの村を訪れるのも数少ない観光のひとつです。
その中でも、最も美しいと言われているのが、バジャワの20キロ南に位置するベナ村です。
ただ、この村を公共交通機関で訪れるのはとても難しくて、行くことはできても、その日のうちに帰ることはできないと言われます。
なおかつ、ベナ村には宿泊施設がありません。

苦労の末に着いたバジャワですが、ここは過ごしやすい高原の町。
町のほとんどの場所から見えるイネリネ山は、とても美しいのです。
ですから、ここも散歩が楽しい町でした。

しばらく飛んでしまいましたが、再びインドネシア・フローレス島のお話です。
寒さに震えたルーテンの次に目指したのはバジャワ。
ルーテンからバスで4時間ほどの町です。

フローレス島は赤道近くに位置していますが、山の深い島です。
最初に一歩を印したラブハン・バジョーは海沿いの町だったので暖かかったのですが、次に訪れたルーテンではまったく違った印象を持つことになりました。
ラブハン・バジョーからバスで5時間ほど、山道をグイグイと登って着いたルーテンは山間に位置する美しい町でした。

マタラムで一泊した翌日、やっとスンバワ島サペ行きのバスに乗れることになりました。
出発は午後の3時ですが、余裕を持って1時にはバスターミナルに到着。
バスはいました。
エアコン、トイレ付きの立派なバスです。
まだ乗れないので、近くのベンチで待つことにしました。
しかし、ふと気がつくと、そのバスが走り始めたではありませんか!

予定外にパタンバイで一泊した翌朝、フェり-に乗って約5時間でロンボク島のレンバル港に到着。
待ち構えていたバスに乗ります。
ロンボク島最大の町マタラムまでは、最初は1万5千ルピア(約210円)と言ってたのに、後になって5万ルピア(約700円)とか言い出します。
ロンボクもツーりスティックなのです。

旅行から帰ってしばらく経ってしまいましたが、ボチボチと旅話でもさせてもらおうと思います。
さて、今回はヌサ・トゥンガラ諸島を回ったわけですが、スタートはバリ島でした。
グラライ国際空港に着いたのは、もう日付が変わろうかという夜も遅い時間。
いつもなら、空港が開いていればそのまま朝まで空港で過ごして、明るくなってから動き始めるのが常のことですが、今回は違っていました。

よく考えてみると、今回どこに行ったのかをちゃんとご報告していませんでした。
行く前の日記では、「13500ほどあるインドネシアの島のひとつで、『花』という意味を持つ・・・』とだけ言っていたんでした。
そして、正解は「フローレス島」でした。
16世紀にヨーロッパ人として始めてこの地を訪れたポルトガル人が、母国語で「花」の意を持つ「フローラ」から付けた名前だそうです。

モンゴルはかなり観光に力を入れているようですが、まだまだツアー中心で、個人旅行をするには大変なことが多いですね。実際、今回もたくさんの日本人旅行者をお見かけしましたが、一人を除いて他はみんなツアーで来ている人たち。
英語がほとんど通じないということも個人旅行には厳しいものなのですが、もうひとつきつかったのは公共交通機関が(個人旅行者にとっては)十分でないことです。

モンゴルの旅の楽しみのひとつは、遊牧民の移動式住居である「ゲル」に泊まることでした。
モンゴル滞在中にけっきょく三ヶ所6泊をこのゲルで過ごしたのですが、予想以上に快適でした。
それぞれ装飾の差はあったのですが、どれも中にはベッドが置かれていて、テーブル、椅子、ストーブ(冬は氷点下40にもなる寒さですから必需品です)などは当然、(写真に写っている)旅行者向けに作られたツーリスト・キャンプのゲルなどは流し台まで付いていました。ただし、水道はないので、バケツで水を運ばなければなりませんが…。

僕の友人の一人で(自称)ウランバートル娘のBは、一昨年の6月から昨年の2月まで日本に滞在していました。今回は久しぶりに再会したわけですが、「日本に来たあとモンゴルに帰って、何か変わった?」と聞いてみると、こんな答えが帰ってきました。
「はい。ケンカばかりして鬱陶しいと思っていたお父さんとお母さんのことが大好きになりました」
いることが当たり前と思っていた両親と生まれて初めて9ヶ月も別れたおかげで、そのありがたみがわかったということですね。これは良いことです。しかし、次がちょっと微妙な発言。

昨日もまたたくさんの雨が降り、各地で大きな被害が出たようです。このところ、世界各地での自然災害が異常に多いと思いませんか?不気味です。
ところで、モンゴルというと「乾燥した国」をイメージしがちですが、7月8月は一年でも最も降水量の多い季節なのです。手元の旅の日記を見てみても、3週間のうち10日間に「雨」のしるしが付いています。

大相撲名古屋場所も今日が千秋楽。優勝は昨日の時点で朝青龍に決まっていますが、僕はそれさえも夜のスポーツニュースで見て知っただけで、相撲中継自体は最近ほとんど見たことがありません。
そんな僕も、モンゴルでは何度か相撲のテレビ中継を見たのです。といっても、モンゴル相撲ではありません。日本の大相撲の中継です。

『日本はもう梅雨が明けているんだろうなあ…』と思いながら帰国したのですが、まだ続いているんですね。そんな中、今日は良いお天気だったので、カヌーに行くという選択肢もあったのですが、けっきょくは旅の余韻に浸ってのんびりするほうを選びました。
さて、そんなわけでしばらくは、モンゴル話をボチボチとお届けしようかと思っています。
でも、色々ある話の中でひとつだけ嫌なことがあったのですが、まずその話を片付けてしまいましょう。

サェン バェ ノー。
3週間のご無沙汰です。今日モンゴルから帰ってきました。
まあ、色々と報告したいことはあるのですが、とりあえず今はヘロヘロです。
ということで、詳しいことは落ち着いてからということで、今日は無事に帰ってきた報告です。
とりあえずは写真をご覧ください。

ゴールデン・ウィークに突入しましたが、この機会を利用して海外へ行かれる方も多いようです。僕の友人のS君もヴェトナムに行っているようです。
日ごろは人一倍海外に行っている僕も、人が行くという話を聞くと、自分のことはさておいてとりあえず羨ましいのです。そこで、「ヴェトナムには行けないけど、ヴェトナム料理屋になら行けるぞ!」ということで、久しぶりにヴェトナム料理を食べてきました。